やなせたかしさんの人生は、生まれたときに命の危険にさらされていたところからはじまります。
手のひらに乗るくらいの超未熟児で誕生して、なんとか命を落とさずにこれたものの、その後の成長などには大いに影響し、それはご本人にとっては他者との比較をした時のルサンチマン足りうるものだったようです。
戦争のために日本を離れ、敗戦の焦土に帰国してからは、様々な下積みを経てマンガ家として歩むものの大きなヒットをつかむことはできず、いまでこそ国民の誰もが知っていると言っても過言ではない「アンパンマン」がテレビアニメとして放映されてブレイクしたのは、1988年。
やなせさんが69歳を迎える年のことでした。
『愛蔵版 やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP研究所 編
生きているから、かなしいんだ
人生の成功は、いつ訪れるかはわかりません。
その成功の大きさも、その人が「これでよかったんだ」と思うものがはじめてその形となるもので、決して他人が評価するものでもないでしょう。
では、人生の成功はどうすれば手にすることができるのか。
それはきょうを生きて明日を迎えるときに、夢を捨てずにいること。
その夢を捨ててしまえば、人生は失意の連続。
人間が生きていることを実感するのは、喜びよりも悲しみが先に立つからというやなせさんの言葉は、日々の人生を無駄なく生きることの尊さを教えてくれています。
悲しみのなかにある生きる希望をいくつになっても捨てなかったやなせさんの熱意が、遅咲きのヒットと言われようともアンパンマンを世に広く知れ渡ることにつながったのですから。
そしてそれを成功というのなら、やなせさんはそれを「めぐりあい」だとも語ります。
生まれた理由、生きる目的。
『アンパンマンのマーチ』の歌詞にある、あまりにも有名なフレーズ。
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!『アンパンマンのマーチ』
アンパンマンに興味を持って見る世代は2〜3歳の幼児がメインで、その子たちにこんなことを歌ってもその真意はまったく伝わらないでしょう。
しかし、いずれわかる日がやってきて、その意味を知ったときにアンパンマンのことを思い出して「ああ、あれはそういうことだったんだ」の積み重ねが、人を強くしていくのでしょう。
アンパンマンには、そういったやなせさんの哲学があふれています。
その哲学も、決して押し付けがましいものではなくて、きちんと愛とやさしさに包まれているもの。
なぜ、アンパンマンは自分の顔をちぎって、お腹を空いている人に差し出すのか。
なぜ、アンパンマンとばいきんまんは戦いつつも仲良くするのか。
なぜ、アンパンマンは武器を持たないのか。
すべては、やなせさんが持たれた答えがあってのこと。
その軸がぶれることさえなければ、幼い日に訳も分からずに歌っていた『アンパンマンのマーチ』の意味が自分を強くしてくれるはずです。
おもしろくて楽しい人生を
おもしろくて楽しい人生を過ごしていると、お金は困らないくらいに増えてくるといいます。
結局それは、自分が自分らしい人生をいきているかどうかということ。
その「おもしろくて楽しい人生」は、その人の価値のものさしの上に成り立つもので、それに懸命になれるかどうかが人生の結果を左右することにさえなる。
つまり、ひとつひとつのできごとを人生の成功のための通過点として、失敗だとか挫折だと言った解釈で立ち止まらずに、自分の糧に変えて歩み続けた結果、いくつになろうとも楽しい人生である人こそがいい人生を送ったのだと言えるでしょう。
それこそが、『アンパンマンのマーチ』のあのフレーズに含まれた生きる目的に違いなさそうです。