日本の有名な実業家に、落語を聴くことを趣味とされている方は少なくありません。
そういった方たちは落語をどのようにビジネスに活かし、人生のステージを変えてきたのでしょうか。
そこには昔からある落語の趣とあり方が詰まっていました。
『ビジネスエリートはなぜ、落語を聴くのか?』横山信治、石田章洋
落語とはそもそも笑いだけをもたらすものでしょうか。
聴き方、嗜み方によっては笑いのエッセンスを抽出する良質な芸能といえます。
しかし、その味わいや奥深さ、噺家の間のとり方や表情、言葉選びに息づかいを感じることができれば、笑い以上の成果を手にすることができそうです。
では、成功者と呼ばれる人が落語をどのように活かしているのか。
それは、コミュニケーションをはじめとしたスマートな関係性の構築であったり、脳の回転をたかめるものであったり、なにより「話し上手」になるための手段として使われています。
笑いを提供する落語からユーモアセンスを養って、コミュニケーションに活かしているというのが大筋でしょう。
落語の笑いとは、あくまでも「人間を肯定する、上質な笑い」であると定義されているからです。
人間の肯定=業の肯定
落語に登場する人物というのは、往々にして野暮ったい生き方をしているものです。
そういった、ありふれたドラマでは決して主役になることはできないようなキャラクターに焦点を当て、その人が繰り広げる目を背けたく鳴るようなエピソードを楽しむ、それそのものが落語だと言えるでしょうか。
やっちゃいけないことをやってしまう人間が多数登場し、その野暮ったさ、裏を返せば粋な生き方をできない人間を肯定することが落語の真髄です。
ビジネスでもそうでしょう。
関わる人を認めて共生することにお互いの成功を見つけていくものです。
出世・成功と嫉妬は表裏一体
とはいえ、人生の成功を手にする人に冷たいのがこの社会。
利己的で私腹を肥やすことに暇がない人を徹底的に排除したがるのもこの社会です。
とはいえ、成功した人の中でも大きく受け入れられて愛されるキャラクターもいます。
本書では随所に例としてあげられる笑福亭鶴瓶さん。
鶴瓶さんが天才的とも言える「嫉妬のかわし方」として、著者は3つの点を挙げています。
・失敗談を話す
・特に師匠や奥さんに怒られたことを過大に話す
どうでしょうか。
嫌味な成功者は、鼻持ちならないような話ばかり持ち出し、成功者としての威厳をにじませやすいもの。
その色を全く出さずに、むしろ真逆とも言えるキャラクターで多くの方に愛される鶴瓶さんがこなしているという処世術は、なにも成功者と呼ばれる人ではなくても身につけたいスキルでしょう。
粋とは心の余裕
江戸っ子の話に「粋」という言葉が多用されます。
スマートな生き方、振る舞いをそうであるとたとえるのがわかりやすいでしょうが、もっと端的に言えば「心の余裕」とも言えるでしょうか。
心にゆとりがあるからこそ万物の業を肯定し、つねに成長を図ろうとする人間を認めない人はいないでしょう。
そうある人間に成長するための落語。
落語を聴いて、自分の生き方が変わって世の中に良い影響を与える存在になれるのならば、これほど安価で気軽に始められる趣味に手を出さないのは、人生を何割かは損しているかもしれませんね。