生まれてから死ぬまでのあいだに
どれだけの「悩む」という行為に
さいなまされるのだろう。
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そもそも、なぜ「悩む」のか。
無知な自分に与えられた選択肢が
示唆に富んで、
夢や希望にあふれるものばかりだからなのか。
それとも、
困窮した生活から脱するために
命を賭すことも厭わないほど
切羽詰まった状態に身をおいているからか。
私という存在がここにいて、
生きて老いていくなかで
迎えるべき終末を
平穏と安堵に包まれたものに
するためにもがくからか。
この本は、
夏目漱石とマックス・ウェーバーを引き合いに
理想と現実にもがく人間模様から
「悩む」ことの筋論をとつとつと綴られていく。
読んでいると、この本は誰に対して
「悩む力」のことを説いているのか
わからなくなってくる。
悩むことがいいことなのかどうなのか、
悩んだ先にある未来が明るいのかどうか
ただただ混沌とした気持ちと、
悩んでいる自分のあり方に
忸怩たる思いにさえ追い込まれる。
結局、この本が差し向けているのは、
「悩む」とは今を起点として未来に向けて
どう生きたらいいのかを意思決定に
躊躇している状態なのではないだろうか。
そう思うと「悩む力」に卓越したスキルは
まったくもって不要かもしれない。
ではどうするのか。
未来を自分の手で描いて
未来に向けて生きることが
無味乾燥で凡庸な今の時代から
ぬけ出すための必須要素かも知れない。