先日発売された
『幸せになる勇気』と、
2年前に発売された前作
『嫌われる勇気』と、
さらにそこに関わる私の人生観が重なると
ものすごく感慨深いものがあります、
という自分語りを
きょうはさせてください。

前作『嫌われる勇気』が発売されたのが
2013年12月でした。

たしかこの時も
発売から日を空けることなく
買って読んだことを記憶しています。

私が初見を済ませたのが、
世の中がベストセラーとして祭り上げる
少し手前だったような気がします。

そして程なく、この本のみならず
『アドラー心理学』に関して
あちらこちらで話題になってきてからというもの、
2~3回は再読したでしょうか。

会得するには重みのある内容で、
とはいえ少しずつは興味を示して
学び続けていたように覚えています。
そして、そこからしばらく
その本とは向き合ってはいませんでした。

その後、立て続けに私の身を
交通事故や豪雨土砂災害のような、
死生観をがらりと変えてしまうほどの
出来事が襲います。

文字通り命からがら、
もしくは命拾いをしたとは
まさにこのことと言わんばかりの体験は、
ちょっとした宗教観や
心理学に身を委ねてしまうのも
仕方ないものなのかもしれません。

私の場合、
そのときに拠り所にしたのが
「アドラー心理学」であって、
それをきっかけに
心理カウンセラーの資格を取得したのも
そうなのですが、
根本には
「幸せになるとは」という
考えがあってのことでした。

『嫌われる勇気』が発売されて2年3ヶ月の間、
私の身に起こったことを振り返りながら、
『幸せになる勇気』を読み進め、
のめり込むようにして初読を終えました。

本に出てくる青年ほど
ねじれた性格ではないにせよ、
哲人に私自身が「アドラー心理学」を
どの程度理解できているのかを
尋ねるつもりでページをめくっていました。

そのなかで、本文中に
「与えよ、されば与えられん」という
言葉が出てきます。

私も日ごろ心がけていることですが、
改めてこのフレーズがアドラー心理学の
遠心上に出てきたことに
感慨深いものがあります。

久しぶりに常に持ち歩く本ができました。

また思いついたときに
つれづれっと書いてみることにします。

そして、
なんとなく書き残しておきたいこととして
読後感として真っ先に浮かんだ言葉が
「いきてるだけでまるもうけ」でした。

このまるもうけの毎日のなかで
誰かに何かを与え続けていくためにも
さらにさらに
インプットとアウトプットを繰り返して
関わる人の人生のお手伝いができるのならば
それだけで本望だと思えてきました。

あしたもきっといい日です。