人間分析

妻から娘の「肩車卒業」を宣告されました。

投稿日:2017年3月21日 更新日:

 

日々成長していく娘を見ていると、それ以上に親も学び、成長していることを実感するものです。

それは話すことが大人とじゅうぶんにやりとりできるような語彙力と表現力もそうですし、身長や体つきといった見た目の成長もそうです。

そんな日々の成長を感じる中で、妻からこんなことを言われました。

子どもの成長を、頭が梁にぶつかったことで知る。

娘とふれあう時間は、毎朝の起床から保育園に一緒に歩くまでの約1時間30分。

土日祝も関係なく仕事をするうえでは、この時間をきちんと担保することが父親としての務めとして考えています。

娘を起こし、一緒に顔を洗ってご飯を食べ、身支度を整えてから歩いていくというのは、1歳に満たないころから保育園に通う娘との日課です。

ときどき、保育園にでかけるまでの時間があるときには、うちのなかでスキンシップとして「肩車」をすることがあります。

天井は高いものの、ドアの高さは私の身長よりも少し高い程度、つまり娘を肩車したままだとドアはくぐれません。

いつものように膝を曲げてくぐっていたとき、「ごん」という鈍い音が・・・。

そう、娘の頭がドアの梁にぶつかったのです。

私の膝の曲げ具合が足りなかったのかもしれません、そもそもその前にうちの中で肩車だなんて・・・というのもあるのですが、いずれにしても娘の頭は梁にぶつかったのです。

それを見た妻は、見かねてこういいます。

「もう、パパの肩車は卒業だね」と。

「にんぎょうをかたぐるましているんだ」

年少クラスから年中クラスにあがろうとする娘はもはや、保育園に行く道すがらで肩車をすることはありません。

足腰を鍛えないといけないですからね。

そうおもうと、保育園が休みの日曜日や祝日のスキンシップでしか肩車をする機会はなく、父親として子どもの成長をこういう場面の切り取りから実感するものなのです。

そういう時間をどのように繰り出すか、父親としても家長としても考えないといけないものです。

うちの中で肩車をしなくなってから数日たったある日、娘がこんなことを話してくれました。

「いまわたしね、にんぎょうをかたぐるましているんだ」

よく聞くと、私が肩車をしていたのがよほどうれしかったようで、今度はそれを娘が人形相手にやっているというのです。

恩送りをする娘、成長を願う父

もうすぐ5歳になろうとする娘が、すでに自分が受けたよろこびを相手に対して施そうとしているのです。

人形相手とはいっても、自分がどれだけうれしかったのか、しかもそれを私に伝えてきてくれたことに自然と涙が浮かんできました。

娘にさとられないように涙を拭きながら、こう尋ねました。

「よかったね、にんぎょうもよろこんでるだろうね」

子どもの感性に親切の押し売りなんてありません。

ただ単に、みずからがしてもらってうれしかったことを実行していること、そのことがすなおに嬉しかったのです。

さいごに:日本一肩車をしてもらったんだよ

この出来事を妻に話すと、妻はこう言いました。

「肩車卒業を話したあとで、娘に「○○はパパに日本一肩車をしてもらったんだよ」って言ったよ」

日ごろ、仕事に追われて娘との、もちろん妻との時間をゆっくりと取れていないことを憂う中で、妻がこうやって私のことを立ててくれているんだとおもうと、それだけで感謝の気持ちがあふれます。

そして、娘の成長、もちろん妻も私もその日、その瞬間が成長しているときだと悟ると、日々の一挙手一投足が誰かに与える影響の大きさを図らずも知ることになるものです。

妻に、娘を日本一肩車してあげたパパと評してもらって、さらに子育てと親の成長について真剣に向き合いたいと感じるのです。

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スギ

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