4月から保育園の年少クラスになる娘が、保育園指定の制服をもらってきました。

1歳になる前から保育園に通っていたので、まもなく丸3年の保育園生活が折り返しになります。

そして、さらにそこからはじまる卒園までの3年間を過ごすシンボルになるのが、この制服です。

仕事中に妻から送られてきたメールに、制服を着て凛々しく「気をつけ!」のポーズを決めている娘の写真があり、はばからず涙を浮かべてしまいました。

私たち夫婦は30代半ばで結婚、そこから授かった娘だけに大切に想う気持ちはひとしおです。

ただ、だからといって甘やかすのではなく、ひとりの個人として律してもらいたいという思いで子育てをしています。

ありがたいことに、娘の通う保育園の教育方針がそこにあります。

そして、その方針を支える環境も十分に整っていて、幼児教育の大切さと重要性を我が娘の成長を見ながらにして強く実感するのです。

その思いを受け、これまでは娘よりも上のクラスのおにいちゃん、おねえちゃんたちが着ている制服を着た娘の姿に、嬉しさのあまりに流れる涙が止まらないのは仕方ありません。

子どもたちの成長のゴールは、ひとりの個人として正しい意思決定ができるようになること。

つまり、子育ての目的は、子どもの「自立」がゴールになります。

親が敷いたレールの上を子どもたちの個性を度外視して歩ませるような窮屈な人生を過ごさせるくらいだったら、子どもが正しい判断をできるような環境や情報を提供していく親こそが、真の「自立」を目的とした子育てを行なっているとおもうほどです。

子どもだって、判断をするんです。

その基準を正しく伝えていないから、子どもが人生を左右するような意思決定に対して親が不安になる、それは裏を返すと子育てが十分ではないと言えるのかもしれません。

たとえそれが、小学校受験であったとしても。

「○○ちゃんには、そんな受験なんて無理よ~」

というのは、親が子どもに十分な情報と教育を授けていないから。

かたや一方で

「○○ちゃんは将来、立派な大学を出て良い人生を送ってもらわなきゃ!」

という親は、子どもの人生の選択肢を絞り上げて、不自由な思考と将来を授けてしまいます。

アナタの子どもであっても、アナタの人生じゃないんだから。

「のびのびと育つ子ども」、という言い方があります。

のびのびというのは、自由奔放ということではなく、その子が自分で決めたことを後ろから支えて、間違った道にいかないように親が軌道修正していくことではじめて成立する概念です。

制服を着て凛々しく起立している我が娘の写真を見つめながら、この子の主張を尊重してやれるように、親としての環境整備に努める覚悟を決めたのでした。