スギ(@sugi_pallat)です。

昨日(2018年4月18日)、娘は6歳の誕生日を迎えることができました。

すくすくと順調に育ち、自我も芽生えて口も達者になってきた今日このごろの娘に、父親である私は場合によっては言い負かされることも増えてきました。

毎日2冊以上の本を読んで、ピアノレッスンの予習復習をしている様子を見ていると、動も静も身につけて個を輝かせることのできる存在になって欲しいとつくづく思う次第です。

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幼いころの私を思い出すようだ。

負けず嫌いで興味のあることには心底没頭し、それがうまくいかないとちょっとしたことでも泣きだしてしまうところは、なんとなく私の小さかった頃を思い出させてくれます。

負けん気の強さでいえば、何かを思い出したように「きょうはえほんを10さつよむ!」と言い切っては本気でそれに取り組む集中力たるや、まもなく43歳の誕生日を迎えようとしている私にも大きな刺激になるものです。

一度はじめてしまうと、ちょっと呼びかけたくらいでは返事もしなくなるくらいに集中してしまいますからね。

ああ、私も子どもの頃にはごはんだと呼ばれても、すぐには動かないくらいに集中していたことっていろいろあったなあと思い出すわけです。

そして、この4月から年長クラスに進級した娘は、思い返せば保育園生活6年目に突入したという過程を振り返ると、子どものポテンシャルを引き出してくださった保育園の環境と、そのポテンシャルを持続させるという家庭でのありかたが奏功したのが、今の姿なんだろうと感じずにはいられません。

問題は、小学校に入学してからも、この火種を絶やさないように環境整備をしつづけるということに親としてどう取り組むかという点でしょうか。

子から学ぶ親、親を信頼する子という関係

親子関係や子育てというと、一般的には親の価値観や方針で子どもとの関係性なのに親がマウントを取ろうとする家庭が多いもの。

でも、本当に子どものことを思うのならば、親の持つ限られた可能性の枠に押し込めるのではなくて、その子が興味を持って伸びようとしている方向に進むための障壁を取り除いていく存在でありたいものですよね。

そのなかで、我が子とはいえ私自身が持ち合わせない価値観を知りうる機会は多様にあるのですから、そこからでさえも学び取ろうとする親でありたいのです。

子どもに強い指導をするのは、自他ともに命にかかわることであったり、他人に迷惑をかけることに対してで抑えておきたいとさえ感じます。

そうやって、我が子とはいえ学ぶことが多いなあという感性を持ち合わせていたいものですし、親が承認してくれることに精一杯のリソースをぶつけてくれる子に育ってほしいと思うわけです。

そしていずれ気づくんですよね、この子の成長は親の意思決定の結果だって。

なんといっても、子どもは親の姿を見て育つわけですからね。

すくすく育っていく娘と、その環境を整えてくれる妻に感謝を。

私たちを支えてくださっているたくさんの方に感謝を。

そんな私のブログを読んでくださるあなたにも、心からの感謝を。

これからもよろしくお願いいたします。

以上、スギでした。