スギ(@sugi_pallat)です。

任天堂が発表した「Nintendo Labo」という、Nintendo Switchの周辺機器をめぐってはダンボールというワードがトレンド入りして私の心をざわつかせています。

いまだSwitchを手にしてはいないものの、どうにもこのダンボールで遊ぶという概念のインパクトが強すぎで、なぜここまで心がざわつくのかを書き起こしておくことにします。

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ダンボールが任天堂の未来を決める?オトナだからNintendo Laboに興味津々になってしまう3つの理由。

本体の品薄状態がなかなかクリアにならないなか、「ゼルダの伝説」や「スーパーマリオオデッセイ」といった時間ドロボーなソフトがバンバン出ていて、私も許されるものなら無心になって遊びたいなあと思うほどです。

では、そんななかで発表された「Nintendo Labo」に私が興味津々な理由を述べていくことにします。

1)VRで騒ぐ世論をダンボールでざわつかせた。

(出典:Nintendo Labo(ニンテンドーラボ) 初公開映像 – YouTube)

一般的にゲーム機というのは、ハードとテレビモニタを接続し、そこでプレイするためのソフトがあって成り立つもの。最近はテレビモニタではなく、VRなどのデバイスを新規に創生するために各社が躍起になっているところを、任天堂はダンボールという超物理的な手段でアプローチしてきました。

テレビ画面には秒間60フレームの描写を誇るゲームソフトが踊り、HD振動といった繊細な感触を表現するデバイスを手にしていながら、それらをつかさどる新しい周辺機器にダンボールですからね。

仮想現実をどれだけ現実の世界に置き換えようかと考えている時代の先端を行き急ぐ人たちに冷水をぶっかけるような、そんなインパクトですよ。

だって、ダンボールって目に見えるし、手で触れることだってできるんですから。もっといえば雑に扱えば汚れるし破れるんですから。

2)おとなもこどもも、おねーさんはどうだかわかんないけど。

(出典:Nintendo Labo(ニンテンドーラボ) 初公開映像 – YouTube)

私のようなアラフォー世代がファミコンとともに育ってきたならば、任天堂の提供するものへのワクワクと言うのは常に生活と密着していました。もちろんゲームがすべてではない暮らしの中で、学校で工作の授業と言えばクラフトワークに精を出すことも当然のようにあり、振り返ればそこに仮想と現実があって、そういうところから社会を学んで大きくなったと感じるものでもあります。

そして今、その我々の世代に子どもがいるとしたら、かつて自らが触れてきた仮想と現実とが融合する世界を任天堂の手によってふたたびワクワクさせられると思うと、胸が熱くなるというものです。

子どもとともにダンボール工作に興じて、そこにSwitchのデバイスを差し込んでから実際にふれるのは、「Nintendo Labo」のキャッチャーにもある『つくる/あそぶ/わかる』をもう一度子どもの時の気持ちに戻って体験できるわけですから。

3)コントローラーをつくって、体を動かして遊ぶ

(出典:Nintendo Labo(ニンテンドーラボ) 初公開映像 – YouTube)

もしかしたら、さわってすぐに「飽きちゃったな」ってことになるかもしれませんよ。

高性能のJoy-Conをふたつつくって、トントン相撲みたいな挙動をするダンボールの玩具を目の前にして、ものの数分で「こんなもんか」って思うかもしれませんよ。

でも、つくるという行為を実践して、実際に遊んでみて、なるほどこういう理屈で動いているのかと知ることって、実生活でもなかなか体験できることじゃないんですよ。

学校教材や雑誌の付録のような、ある程度の制約や予算の中でできるものの中から学べるものって、いい方が雑になるけれども、それ相応のものなんですよ。

しかし、オープンワールドで世界がどこまでも続いていくような錯覚させ覚えさせてしまう「ゼルダの伝説」や、何年たっても新しい仕掛けとアクションで楽しませてくれる「スーパーマリオ」を遊ぶことのできるNintendo Switchを活用して、しかもダンボール工作からはじまる壮大な実験だと思うと、ワクワクしちゃいますよね。

ああこれが自分の幼少期にあったら、今頃どんなオトナになっていたんだろう・・・。

さいごに:「枯れた技術の水平思考」

(出典:Nintendo Labo(ニンテンドーラボ) 初公開映像 – YouTube)

任天堂のものづくりでよく表現されるのは、故人である横井軍平さんによる「枯れた技術の水平思考」というワード。

枯れた技術とは、すでに使い古されてコモディティ化された技術のことで、水平思考とは従来からあるものとは異なった用途を見出す思考力のこと。つまり、古い技術でも新しい使い方を創生すればいいというものづくりを指し示すんですね。

Nintendo Switchは、まだまだ先の長いハードとはいえ、他社のハードと比較するとその性能は必ずしも後発ゆえに高性能かと言えばそういうわけでもないもの。しかし、ダンボールという普遍的な物質と組み合わさることで生まれるワクワクやドキドキというのは、VRを装着した瞬間に広がった仮想現実に驚いた瞬間のものとはまた違う、あたらしい驚きを用意してくれるんだろうなあと期待せずにはいられないのです。

任天堂の三代目社長、故・山内溥氏は、顧客のニーズは調べるものではなくて創生するものだとおっしゃったと聞きます。それがこの「枯れた技術の水平思考」とかけ合わさるとき、それはどの企業の、あらゆるクリエイターの誰しもが再現できるものではないということをわかったうえで、ある種の神の領域にあるプロダクトが生まれる瞬間に立ち会える喜びを私は「Nintendo Labo」から感じている、というのが今回の話の締めとなります。

久々にゲームっ子とビジネスパーソン、そして子を持つ親としての思考を張り巡らせながらいろいろと考えてみました。

まあ、あれですよ、ここまで書いておきながら「Nintendo Switch」はもっていないんですけれどもね。

以上、スギでした。

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