日々の暮らしを振り返って。

きょう出会ったあなたやできごとへのメッセージをお伝えするスギコラム。

2017年10月12日は、こんなお話です。

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「便利さ」は誰かの犠牲の上に成り立つのならば、それが犠牲でないと言い切れる環境整備が求められる、つまり。[スギコラム]

スギ(@sugi_pallat)です。

世の中には、目に見えない努力やサービスに支えられて快適であったり便利だなと感じるモノやコトであふれています。

その快適さや便利さは、捉え方によっては過剰なまでに映るものもあって、それが「顧客満足」として見える化するものであれば、逆に言えばそれを満たすために少なからず無理強いをしているなにかがあるものです。

便利はだれかにとっての「都合がいい」、そしてだれかの「犠牲」で成り立つ

24時間営業、即日配達、送料無料・・・さまざまな「便利」の裏には企業努力があり、その影には企業が努力しているとする建前を遵守する組織や仕組みが存在しています。

昨今騒がれているこれらの課題も、もともとはそれをつかさどる法律などのもとにあるべき姿が少しずつ逸脱し、結局は「便利」を提供するために誰かの「犠牲」を伴うものになっていたということですよね。

その犠牲というのが、適正な対価の支払いがなされていないというものであったり、過重労働であったり、もしくはいわれなきクレームで精神を病んでしまうというものもあるわけです。

そういうときには、誰かにとっては「都合がいい」ということで、その一方であなたは「犠牲」を払っていないか、考えてみたことはありますか。

便利を軸にした力関係を理解する

便利を享受する側は、そこに尽力してくださっている方を「都合のいい存在」として見ていたら、この社会力学は全然よくならないんですよね。

誰かの犠牲が、あなたの役に立っていると感じるならば、その便利に対する考え方も変わってくるというものです。

逆に、あなたが無理を押して働いているそのことが、誰にも認めてもらえない、もっといえば体よく使われていると感じるのならば、さっさとその環境から逃げる準備をはじめましょう。

都合のいい便利というのは、誰かの犠牲があって成立しているのですから。

そしてその犠牲が会社や組織の発展が主眼として見えたとき、あなたは搾取される側にまわっているんですよ。

以上、スギでした。

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