人間分析

若くしてハゲた私が、今も定期的に理髪店に行くたったひとつの理由。

投稿日:2017年3月10日 更新日:

昭和50年、1975年生まれの私は、今年で42歳を迎えます。

社会人になってまもなく20周年を迎えますが、薄毛のことを気にしていた時期もだいたいそれと同じくらいの期間なのです。

そう、大学生のころから薄毛に悩んでいたんです。

今回はそんな、誰の役に立つかわからない私のむかし話をしてみます。

コンビニのアルバイトで発覚した薄毛

もともとくせっ毛が強く、しかも毛の太さもそこそこあった私は「きっとハゲるよね〜」ということをよく言われていたんです。

遺伝的なことも踏まえれば、父親も祖父の系譜もゆたかに毛髪を蓄えていた人がほぼいないということもあり、割と覚悟は決めていたんですね。

しかし、事実は残酷までにそのことを伝えてきます。

大学時代、コンビニでアルバイトをしていたとき、防犯カメラのモニターを眺めていたんですよ。

バックヤードの事務所にモニターがあるその部屋は、天井から部屋全体を撮影するカメラが設置されていました。

そのカメラは、モニターを眺める店員の様子を頭上から撮影するという状態になっているわけですね。

つまり、頭頂部がはっきりと映し出されるわけです。

いまから20年前のテレビと言えばブラウン管。

今のようにくっきりはっきりとまではいかないまでも、髪の毛の黒さよりも地肌の白さが目立つコントラストに、ああこの若さで俺も来たか・・・と覚悟を決めたのでした。

理髪店の使いかたも考える。

社会人になって、少しずつ頭頂部からの薄毛は広がっていきました。

若くしてそのアイデンティティーに耐えられなくなったある日、行きつけの理髪店でこう伝えます。

「一番短い長さで、丸坊主にしてください」と。

それを聞いた馴染みの店員さんは、多くを語らずにバリカンを入れ始めました。

大げさな話ではなくて「これで生まれ変わろう」と決意したのです。

おぼろげな記憶でしかありませんが、それはたしか28歳のある日の出来事でした。
それ以来、月に1〜2回は理髪店に行くようにして、ブサイクにハゲ散らかした頭のままにしないように意識する日々が続いています。



1000円カットのサービスを感じたい。

頻度としては月に2回通う理髪店で、費用対効果を考えるとどうしても俗に言う「1,000円カット」のお店に足を運ぶことになります。

私が丸坊主にした15年くらい前にはほとんど普及していなかったビジネスモデルも、今の時代ではそれなりの展開をするものになりました。

1,000円でカット、それにオプション料金で洗髪と顔剃りが含まれるとだいたい2,000円から2,500円に収まるのですが、そのなかでバリカンの技術と、最中の過ごし方とをどのように感じるか、つまりは受けるサービスのレベルを学びたいということだけを主眼に理髪店に通っています。

だって、丸坊主にするだけだったら自宅で自分でもできますもんね。

付加価値をどのように感じるかという、いわば授業料のつもりで1,000円カットに足を運んでいるところではあります。

"飲食店で食事をするのは、うちで皿を洗わなくても済むから"というのに近いでしょうか、ちがうか。

さいごに:いろいろなお店に行きます。

こんなスタンスで理髪店に通うために、馴染みの店をつくることなく見つけたお店に飛び込みで入ることが多いのです。

そこで感じる、もしかしたら一期一会のサービスの良し悪しを、私が開催するセミナーや読書会といった場面で活かすことができればいいなあ、という思いが少なからずあるのです。

サービス業というのは、「モノの提供」「情報の提供」「快適の提供」と3分類されると考えますが、提供するものが違っても、本質は変わらないですからね。

それを体験してアップデートするためにも、ハゲ散らかした頭を整えるために、月に2回は理髪店にいく私なのでした。







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