哲学って、
ちょっと知的なイメージがありますよね。

それを考察しようとして
いろいろ書いていたら
長くなりすぎました。

さてきょうは、新刊本
『読まずに死ねない哲学名著50冊』を読みました。

この本は、新書なのに
472ページというボリュームですから
手強い相手です。

しかも相手は哲学です。

ふだん読み慣れているビジネス書への
シナプスとなる要素は多分に出会えるのですが、
楽しみながらも
ちょっと苦戦気味に読んでいきました。

たとえて言えば、
コースの下見が十分にできていないままに
フルマラソンを走っている感じでしょうか。

フルマラソン、走ったことないけど。

ひとまずざーっと読了したので、
その勢いで「哲学と自分自身」ということを書いてみます。

哲学者というのは、
明晰な解釈で真理を語るものだという
一方的な思い込みがありました。

しかし、実際にはそういうものでもないんですね。

どういうことかといえば、
古代ギリシャ時代から
現代にまで語り継がれているものは
それなりの言葉や思想の理解、共感に対する
マジョリティーは得られているのでしょうが、
あくまでもそれはエッセンシャルに
洗練されたものとして遺された言葉や思想です。

それをもたらすための
肉付けや外堀を埋めるような
ちいさな解釈の積み重ねは
もしかしたら雑文で、
理解に苦しむようなもの、
嫌悪の対象として思われていたもので
あったりもするようです。

哲学者も人間ですから
邪念や煩悩もあったことでしょう。

結局のところ、
哲学の真理を知るということに対して、
回り道をしながらも
軸となる本質を貫いた言葉や
思想を遺した方の生き様を
いくらか知ることができれば、
今こうして生きている私たちにも
自分自身の「哲学」が生まれてくるんだろうなあ、
と感じます。

ビジネス、経営で言えば、
稲盛和夫さんの掲げる『フィロソフィー』も
そのものズバリ「哲学」です。

軸としてぶれない自分自身のあり方を持って、
それに共感性が付随してくることで
自分自身の生き方に輝きが生まれるものだと感じました。

うん、小難しくこねくり回して書いていますね。

ひとことで言えば、
様々な価値観を知り得た上で
自分自身に適切な解釈を持ってして、
それを生き様に変えることが
『己の哲学』ということですね。

その『己の哲学』に、
この本の言葉を借りれば
「共通了解の言語ゲーム」を楽しみながら
出逢っていきたいものです。