空海




人間分析

「会者定離」の心持ちで、誰のために生きとし生けるのかを問いただす。

投稿日:2015年4月25日 更新日:

空海

祖母の突然の死から1年が経ち、一周忌を終えてきました。

自宅でストーブの火が衣類に引火して負った重度の火傷が、祖母の直接の死因につながりました。あまりにも突然で、誰もそんな予見をしていない、まさに事故です。

長らくの病気の果てに亡くなるのであれば、ある程度の心の準備も整えられるのでしょう。こちらにその用意も十分になされないまま、鬼籍に入った祖母の気持ちを思うとあまりに無念で気持ちにひっかかるところが大きくあるのです。

両親と同じくらいに私のことを育ててくれた人との別れとしては、その事実を受け入れるための時間は本当に長かったです。

法要での講話が拠り所に

葬儀の時も、四十九日法要の時にも、祖母の読経をされた和尚の講話がとても救われるものでした。

そしてその講話は今回の一周忌法要でもそうで、今回は弘法大師の「会者定離(えしゃじょうり)」についてのお話でした。

会者定離

仏典のひとつである遺教経の文章が原典。日本では四字熟語として有名だが、本来は「生者必滅会者定離」でひとつの意味をなしている。命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れることになるという意味。

(出典-Wikipedia

命あるもの、出会った時にはその時すでに別れは必然であり、その別れはいつ何時に訪れるものかわからない。その別れとは、あなた自身が現世との別れになることもある。それを思い、一日一日を大切に過ごして、亡き人の思いの分も生きましょう、という話でした。

事あるごとに昨年の大雨土砂災害を引き合いに、いのちの重さと生き方について自問自答を繰り返す日々を送る私は、この話を聞き終える前に涙が止まりませんでした。

なぜ生きているのか。

生きている自分は、何を目的にしているのか。

私の生きる目的に賛助して、共生する方に何ができるのか。

40歳を前にして生き方を考え悩む日々に今日のこの話はとても重く、しかし心がすっとするものでした。

生きるミッション、開けてきたような気がします。







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